田舎を舞台にしたエロゲを作りたければ「讃岐うどん」を出せ!!

はじめに

別に私が香川生まれで香川育ちだから「エロゲに讃岐うどんを出せ!!」と主張したいのではないことを最初に断っておきます。
朱門優における「日本の田舎」についてのメモ:『いつか、届く、あの空に。』および『ある夏のお見合いと、あるいは空を泳ぐアネモイと。』から - 極南の空へ
背景から見る、エロゲーにおける田舎社会の描像 - utopianism
お二人が「地域共同体から見たエロゲ田舎論」「空間表現から見たエロゲ田舎論」を展開されているのを見て、「日常生活から見たエロゲ田舎論」を書いてみようと思った次第。
讃岐うどん」はあくまでも比喩表現です。
そこはお分かりください。
ネタでもありません。

エロゲに「讃岐うどん」は出てこない

ウソです、エロゲに讃岐うどんが出てきたことはあります。
タイトルは忘れましたが、2,3作品プレイしたことがあります。
しかしながら、現実の郷土料理が出てくることはあっても、架空の郷土料理を創作したという田舎モノのエロゲは、料理をギャグとして用いた作品以外お目にかかったことはありません。
つまり、方言や衣食住など生活に密着しているレベルでの田舎を感じられる描写がありません。
日常生活を送っていて、何気なく触れられる部分に田舎を感じることが出来ないのです。
そこに私はエロゲの田舎描写をウソ臭いと感じてしまうのです。

田舎であって田舎ではないという異空間

例えば伝奇モノのエロゲー
世に多くの伝奇モノのエロゲがあふれていて、その多くが田舎を舞台にした作品です。
かつてそのようなジャンルが流行った時期もありました。
しかしながら、田舎に住む人々の暮らしぶりは、因習以外の部分では主人公やプレイしているユーザーの生活と変わりないという面も確かに存在していました。
そして、生活レベルでの田舎と都会の違いを感じられないから、因習など差異化されたところばかりが目立ち、違う文化圏の人間のはずなのに同じ文化の人間が奇妙な行動をしているように見えてしまいました。
これら田舎を舞台にした伝奇モノは因習に力を入れすぎるあまり、田舎独自の文化ではなくカルト宗教のような描写になってしまっている作品が多いのです。
残念ながら、それでは田舎の空気を感じることは出来ません。


しかし、これは伝奇モノだけに存在する問題ではありません。
田舎を舞台にしたあらゆるエロゲーに通じる問題です。
田舎のしがらみ・息苦しさ・暖かさを描いているエロゲは数あれど、舞台が田舎だと示す部分が主にそのシナリオ部分だけしかないのです。
そこには非常に歪な田舎になりきれない異空間があるだけです。

エロゲで田舎は描けるのか?

少し話は本筋からそれますが、神愛 〜Shin ai〜という作品があります。

神愛〜shin ai〜 神愛 〜Shin ai〜

メーカー:Cyc
発売日:2002/05/10

異世界を旅するファンタジーモノで、この作品の主人公とヒロイン・サブキャラはそれぞれ違う文化圏に属していて、彼らが結ばれる過程でそこから生まれる価値観の違いが障害となります。
それを上手く昇華させて、彼らがそれぞれの価値観を守ったまま同じレベルの思考回路を共有するというのが見所の作品です。


私はこの作品が田舎を舞台とするエロゲーが目指すべきところではないだろうかと考えています。
つまり、ファンタジーの世界ほどではないものの、田舎という価値観を共有できない部分もある「異世界」で暮らしながら、それでもお互いの日常をすり合わせて主人公と他のキャラクターが生活していく。
日常の習慣・言動・その他文化にところどころの違和感を持ちながらも生活する分には困っていない、むしろ一見しただけでは普通に生活を送っているように見える。
そうした描写に田舎独特の空気を出せるのではないでしょうか?
上述した伝奇モノの作品の真逆です。


別に田舎の雰囲気を出すために、息苦しいまでの近所付き合いや馴れ馴れしい友人達を強調する必要はありません。
普段からきゅうりを茹でて食べるのが当たり前のような、ちょっとだけおかしいなと思うくらいの食生活でも設定・テキストの味付け次第では田舎臭さはにじみ出せるはずです。
そうした何気ない違和感の積み重ねをただのネタ・ギャグとして終わらせずに描くことが、リアリティのある田舎描写につながるはずです。
例えば、香川県民のうどんに対するこだわりに違和感を感じるような。

余談

もしくは方言や慣習などをこと細かく設定付けるという方法もあります。
ライトノベル作家である新城カズマ氏は架空世界の物語を描くために、作中で使う言語まで生み出して差異化を図っています。
極端な話、誰が読んでもこの作品の舞台は田舎だと感じることが出来るようにするためには、ここまで力を入れる必要があるのかもしれません。