「音楽に文字通り一生を捧げた人が選ぶ名曲」だけを聴けばいいってことですね、分かります

お詫びしたい

本題に入る前にいくつか突っ込み

まず、自分の根本的な考え方として、CDは、そこに入っている音のみで評価されて売れるべきものだと思っている。つまり、楽曲、歌唱、演奏などだ。そしてその楽曲を良くしよう、歌唱力を高めようとして毎日頑張っているアーティストは言うまでもなく沢山存在する。


それなのに最近は何か変なブームが多い。羞恥心とか、おしりかじりとか、ポニョとか、そんなのばかりが注目される。まさか音楽性や歌唱力で売れたとは考えられない。正直腹が立っていた。

まず、ここについて納得がいかない。
そもそもの問題として「楽曲、歌唱、演奏」がいい曲なんて人の考え方次第。
だから初音ミクの声が好きという人だっているし、増田のようにそこまで好きではないという人もいる。
それに私は曲を好きになる前に「ここの旋律が」とか「ここの声の伸びが」とか考えたことがない。
「この曲いい!!」って思った後で、自分はどこを好きなったんだろうかと考え始めて曲の内容云々の話が出てくる。


それから増田の言い分を正しいとするとあらゆる映画音楽・ゲーム音楽・タイアップ曲*1が質のいい音楽ではないことになる。
私はそんな音楽の幅が狭くなるような選択肢を持ちたくない。

記事タイトルについて

そして、amazonのランキングを見てしまった。これがあの文章を書いた理由だ。


そのような売れ方をしてしまうと何が問題か。結論から言えば、質の高い音楽が減ってしまうことだ。理由はいくつかある。


理由の1つ目は、消費者が他のCDを買う金がなくなってしまうこと、また他の音楽への興味を失ってしまうことだ。人が娯楽に使えるお金には限度がある。初音ミクのCDを買えば、もしかして初音ミクより好きになるような良いCDが近くにあったかもしれないのに、それには目もくれず帰ってしまうことになる。そして、CDが売れずアーティストの収入にならなければ、音楽を止めるか、少なくとも活動を縮小せざるを得ない。1日中音楽のことを考えるのと、会社から帰宅した後のみでは、どうしたって音楽の質に差が出てしまう。


2つ目は、音楽の質だけで勝負しようとしているアーティストのモチベーションが下がることだ。つまり、いくら音楽の質を上げても、奇をてらったものばかりが注目されるなら、自分達のしていることが無駄だと思ってしまっても仕方がないだろう。人のモチベーションはそう簡単にはコントロールできるものではない。


俺は質の高い音楽を聴きたい。昔から俺を感動させてくれたのは音楽だし、今後もそういう音楽を聴き続けたいと思っている。片手間で作った音楽ではなく、そのアーティストか24時間音楽のことだけを考え、試行錯誤し、長い時間をかけてやっと作り上げた、己の全存在をかけたような音楽だ。音から受ける心底からの感動は、そのような努力からしか得られない、と俺は考える。

質の高い音楽ってなんなのって問題は前述したとおりなんだけれども、それだけでは話に発展性がないから初音ミクよりもいいCDがあったとする。
これを仮に“a”と置く。
増田は「この“a”というCDが目に入らないから問題」って言っているわけだよね。


でも、だからと言って「それじゃあ、“a”を買おうね」っていう話にはならない。
増田の論理からすると、この“a”よりもいいCDである“b”が存在する可能性があるから。
そしてさらにc,d,e,f,g……と続いていくわけだ。
これじゃあ、いつまで経ってもCD買えないよね。
どこかで「現時点で買いたい」と思えるCDを選ばなくちゃ、いつまで経ってもCDは買えない。
増田が問題視している連中はそれがたまたま初音ミクだっただけのこと。


頑張れば、この世に出ている全ての音楽を聴こうと思えば出来るかもしれないけど、そのためには人生を捧げなければならない。
別に私は音楽に一生を捧げるために生きているわけじゃないし、生きたくない。
そんな生活真っ平ごめんだ。



それから、アーティストの努力云々はいい曲云々と同じ問題で、私はアーティストの努力に対してお金を払ったんじゃない、曲が好きだからお金を払った。
その人が私が好きになるような曲をいくつか出し始めると、アーティスト本人に興味が向くようになって「あぁ努力しているんだ」と敬意を払うようになる。
アーティストが努力していることは曲を買い始めるきっかけにはなるかもしれないけど、それを曲を買う理由の全てにしないし、したくない。

結局「テメーの価値観を人に押し付けんな」の一言で答えは出る

価値観は提示するものであって、人に押し付けるものじゃない。

*1:CM・ドラマ...etc