「遥かに仰ぎ、麗しの」二つの主人公を繋ぐものは?


遥かに仰ぎ麗しの 通常版

遥かに仰ぎ麗しの 通常版


ふと思う、これはこれでまとまっている。





久々に人間らしい主人公を見たような気がします。
本校ルートではヒロインを穏やかに包み込む父性、分校ルートでは社会人に成り立てのひた向きさ。
両方兼ね備えた稀有な主人公でした。
青年と成年の境目にいる主人公をうまく表現しています。
分校と本校でライターを変える試みは、そういう意味では成功していると言えるでしょう。


個性的か?と聞かれると、そこはやはりエロゲーの主人公だと思います。
しかし、淡い変化ながらも色々な感情を見せてくれ、実に人間らしい。
また前述したように様々な立場からヒロインに接しています。
教師として、大人として、人として、恋人として。
ライター二人だからこそ書ききれた主人公の多面性ではないでしょうか。




学園モノ特有の閉鎖性を感じられなかったのも大きな特長です。
その大きな要因は、やはり魅力的なサブキャラでしょう。


ただでさえ同年代しか集まらない学園モノ、しかもこの作品は外界との接触が少ない場所を舞台としています。
攻略できてしまえば、彼女らはただのヒロイン候補一として世界観を縮める欠点になってしまう恐れがありました。
ルートに入ってしまえば、そこにあるのは主人公とヒロインが作り上げる閉鎖気味の物語。
ルートに入らなくとも、他ヒロインのストーリーに食い込んでしまえばねじれた雰囲気にならざるを得ません。


そんな中で息苦しさを感じさせず、それ以上に実に生き生きとして舞台を作り上げることができたのは、脇役として主人公とヒロインの周囲にいた彼女たちの功績だと思います。


どんな物語でも主役だけでは成り立ちません。
主役を引き立てて、時には主役を覆い隠すほどの彩りを与えてくれる存在が必要です。
この役割は、それぞれ固有の物語を紡がない彼女たちだからこそこなすことができたのでしょう。



主人公の心の闇を描いた本校系。
ヒロインたちを取り巻く愛憎を描いた分校系。
それぞれ背中合わせで交わることなく逆方向へ向かっていき、まとまりの無いように見えます。
ですが片方だけではこの物語は成り立ちません。


二つあわせてこそ「遥かに仰ぎ、麗しの




そして「滝沢司」は二人いる。
丸谷氏も健速氏も特徴的な主人公を描くライターであり、正反対のベクトルを持っています。
二人の作品を今までプレイしたことがある人間には、統一した主人公像を決めない限りこの作品に成功はないと思われた方もいるかもしれません。
しかし、PULLTOPはあえて二人にクセのある主人公を描かせることで、さながら両天秤に載せる錘のようにバランスを持たせようとしたようです。
この両天秤に乗っているのは主人公だけでなく、彼らの描くヒロインもです。


では、両天秤を支える軸は果たして何なのであろうか?
私はサブキャラクター全員がその軸にあたると思います。
顔のあるキャラもいる、顔のないキャラもいる。
だけれども、それぞれが人格を持った人間であり、しかも、どちらのルートを通っても人物像に破綻がない。
時に主人公とヒロインを取り巻き騒がしく日常を語り、時に彼らを仲立ちする渡し舟となり、時に彼らを引き裂く障害となる。



「物語」の中心は主人公とヒロインでしょう。
ですが、この「遥かに仰ぎ、麗しの」という「作品」の中心は、賑やかで愛すべき憎むべき時もあるサブキャラクターなのではないでしょうか?


作品の最後を飾る、凰華女学院 学院歌『遥かに仰ぎ、麗しの
エピローグの構成上、一見みやびルートで目指したものを表わしたように見えます。


本当にそうなのでしょうか?


この作品は攻略順を強制されていません。
みやびを最後にプレイする人もいれば、最初にプレイする人もいます。
なのに、彼女の目指したものをラストに持ってくるというのは、いささか不自然に思います。
だからこそ、この作品の軸はサブキャラたちなのだと私は思います。
すなわち、その大勢を占める学生たちでしょう。



遥かに仰ぎ、麗しの
ここで謳われている乙女たち。
彼女たちを賛美することこそが「遥かに仰ぎ、麗しの」の中心ではないでしょうか?