「ゆのはな」はおとぎ話ではない
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浮世の沙汰も金次第、そんな一言で表わせる物語ではない。
“A heart-warming fairy tale of winter”
そう銘打たれているのに、出てくる神さまは守銭奴。
金の力で命を救い、金の力で怪我を治し、金の力で記憶を植え付け、金の力で町を救う。
主人公の稼ぐ金では飽き足らぬと「金・かね・カネ、金よこせ」
ここまで意地汚いヒロインを私は見たことがありません。
おとぎばなしの筈なのに、メインヒロインは金の亡者とはこれ如何に。
そもそも奇跡とはどうやって起こすものなのか?
おとぎばなしで奇跡の代償として用いられるのは、普通は、心か命か時間か記憶。
どれもが目には見えないが、ファンタジーにおける共通通貨。
けれども、よくよく考えてみると、これらはどれもが失うには辛すぎるものばかり。
失ってしまうとどうにもならないものばかり。
そして、最後の最後で、失ったものを何故か“奇跡”で取り戻すという不思議。
代償もなしにどうやってこの“奇跡”を起こしているのだろうか?
対してお金は、金額さえ多すぎなければ失っても取り返しがつくもの。
今回で言えば約20万円。
奇跡の代償とするには破格の値段。
代償としてはあまりにも陳腐で、だけど、明確で分かりやすく努力次第で実現可能なもの。
また、このお金は主人公が毎日毎日汗水たらして働いて手に入れたもの。
お金の出所も町の住民の好意から出たもの。
このお金は、いわば住民の好意を主人公がお金という目に見える形にして、そして神さまに奉げられた一辺の穢れもない尊いもの。
代償としてはあまりにも現実的で、けれど、胸を張って差し出すことが出来るもの。
こう考えれば奇跡の代償にお金を用いたのも納得できます。
もともと持っているものを「ハイ、どうぞ」とばかりに差し出したものではない。
一人に代償を押し付けず、取り返しのつくものをみんなで少しずつ肩代わりして、そうやって生み出したお金。
この代償を生み出す過程にはファンタジーなんか存在せず、あるのはやさしくあったかい心遣い。
やっぱりこれは「おとぎ話よりも幸せな、本当の話」
サブタイトルの「A heart-warming fairy tale of winter」は少しだけ嘘ついていますね。
おとぎばなしじゃなかったですから。
でも、笑って許せるやさしい嘘だと思います。