「こなたよりかなたまで」は結局どういう作品だったのか



何のことはない、これは迷子の子どもの話なのだ。





“迷子の迷子の子猫ちゃん、あなたのお家はどこですか?”
彼にはそう言って手を差し伸べてくれ、一緒に困ってくれる犬のおまわりさんはいなかった。


この作品には、ただの一人も「大人」がいない。
彼には手を借りることの出来る友人はいる。
しかし、委ねることの出来る大人はいない。


両親も死に、天涯孤独の彼方。
そして、優をはじめ子どもたちに頼られる彼方。
登場人物でただひとり大人あるいずみは、逆に彼にすがってしまった人間。


彼はたった独りで死の宣告を受け、たった独りで悩み、たった独りで最期を受け入れようとした。
その行為を間違っていると諭してくれる人はいない、泣いてもいいと胸を貸してくれる人もいない。
周囲に多くの人はいた。
でも、委ねることができ、甘えることができ、そして彼を支えることのできる「大人」という存在は一人としていなかった。
彼は子どもでありながら、たった一人で自らの最期に向かい合わなければいけなかった。




心を許せる人がいないということ、それは他者を拒み人知れず孤独死をする老人に似ているのかもしれない。


だが、老人と決定的に違うことがある。


彼はたった十数年しか生きられなかったのだ。


人は年老いた自分を自覚することで自らの死を意識し始める。
そして何年もかけてこれまでの人生を振り返り、整理をする。
それが死を受け入れていく過程であり、儀式である。


しかし、彼はまだ若い。
たった十数年の人生を振り返り、しかもわずか数ヶ月で死を悟り、そして死んでいかなければならない。
立ち止まっている暇はない、常に考え動き続けなければならなかった。
誰からにも支えられず、独りで。


こんな過酷なことはあるだろうか。
板橋先生は彼にこう言う。
「君は根性がある」
違う、泣いても喚いてもどうにもならないのだ。
そして、そんな無駄な時間があるのならば、死をどう受け入れるか悩まなければいけないのだ。
彼には逃げることすら許されていない。
例え間違った別れの準備でもやらずにはいられなかったのだ。


そしてそれに気付いていない振りをする。
気付いてしまえば、動けなくなるから。




クリスがやってこなければ、彼は死ぬ直前まで悩み、迷い、後悔していただろう。
彼女との出会いがきっかけで、ようやく彼は正しい道へと回り道ながら近づいてゆく。


クリスルート「こなたよりかなたまで
彼は一緒に彷徨って欲しいと差し出された手を振り払って、


九重ルート「ラストダンスを私に」
ふと出会った同じような迷子と一緒にしばしのときを過ごして、


いずみ&優ルート「ゲームの達人」
ひと時の安らぎを得て、そしておそらくそのまま歩き続け、


佐倉ルート「この素晴らしき世界」
一緒にいると差し出され、いらないと振り払った手を握り返されて、


クリスTrueルート「あるいは、こなたよりかなたまで
そして、大切な人たちを自覚し、背中合わせの彼女を思い出す。



始まりはたった独りの物語。
寂しい寂しい物語。
それでも、ぐるぐると、迷いめぐっていつか辿り着く。
こなたよりかなたまで