発達心理学から見る「この青空に約束を―」
- 出版社/メーカー: 戯画
- 発売日: 2006/06/23
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ErogameScape−エロゲー批評空間−のレビューで主人公側の登場人物を「精神的な発達障害」と評していたものがありました。
最初に見たときは「さすがに言いすぎかな〜」と思っていたのですが、よくよく考えてみると的を射ている面もあるんじゃないか思い直しました。
ただ、私の場合は「精神的な発達障害」ではなくて「社会的な発達障害」だと考えているんですがね。
子どもの発達段階における重要な対人関係は赤ん坊が「母親」を対象にするのを初めとして、段々と「両親」→「家族」→「近隣社会や学校」等と輪を広げていって、この移り変わりによって社会性を身につけるわけです。
それでですね、こんにゃくの登場人物たちは「擬似家族」までは相手にしていますが、「近隣社会や学校」までは思考の範疇に含めてないないんですよ。
寮の存続は島の過疎化に端を発して問題になっていて、地域社会が抱える過疎化を解決しない限りどうにもならないことです。
しかも、寮を存続させるには学校の許可がどうやっても必要。
なのに、周囲の住民や生徒に何の働きかけをしません。
ここから導き出される答えは、彼らの社会性の発達段階は幼稚園児並み小学生未満ということです。
明らかに社会的な発達に問題を抱えていませんか?
また、寮のメンバーをただの「擬似家族」ととるか、さらに「仲間」としての範疇に含めるかによって、また話が複雑化します。
「仲間集団」を重視するようになるのは青年期*3
寮のメンバーを「仲間」と考えれば青年期の発達段階は順調に進んでいます。
しかし、この場合、学童期、言い換えれば小学校時代の発達がすっぽり抜けています。
さて、ここで問題になるのが、小学生だった“彼ら”に何が起こったのか?
「航」と「海己」
「家族」に拘泥し「地域社会」を蔑ろにする傾向を持つのはこの二人です。
彼ら以外の寮のメンバーは静(現実のネグレクトに比べれば、まだ文化的な生活を送っていると思います)を除くと、まだ常識の範囲内の生活を送れていますから問題にはしません。
本編をプレイした方は子どもの頃二人に何が起こっているのかお分かりになるかと思います。
そう親の不倫です。
それがトラウマとなり「家族」に依存し、周囲の誹謗中傷によって「地域社会」を恐れることになってもおかしくはありません。
こうして発達心理学の立場からこの作品を振り返りますと、こんにゃくは健常とはいい難い登場人物が中心となっている作品ではないでしょうか。
Endingを見る限り彼らの社会的な発達障害が治っているのは、海己ルートと茜ルートだけ。
海己と茜どちらのルートでも、初めて「近隣社会」と相対し積極的に関わろうという姿勢を打ち出しています。
ただし、結果は同じでも過程が違います。
- 海己ルートでは「家族」に認められ問題を解決する事によって、次のステップである「近隣社会」に目を向けることができた
- 茜ルートでは「家族」の問題が解決する前に、「近隣社会」の洗礼に押しつぶされた
海己ルートでは順調に、茜ルートでは乱暴に振り向かされた結果があのEnding。
以前、私はErogameScape−エロゲー批評空間−に投稿した感想にこのようなことを書きました。
今なら当時の私が何故このように感じたのかが分かります。
「つぐみ寮」を必死で守ろうとする、大人になれない障害を抱えた彼らにネバーランドを守ろうとする哀れなピーターパンを無意識的に投影していたのでしょう。
以上のように、一見すると「家族」や「仲間」「楽園」を描いた美しい物語とも感じるこの青空に約束を―は、実は社会的な発達障害を抱えた子供たちを描いた歪な成長物語だったのです。
最近になって軽い発達障害を抱える子供たちが増えていることも鑑みると、現代社会の隠れた問題を暴き出す非常にデリケートで現実的な作品とも言えるでしょう。