エロゲと文芸は何が違うのか

エロゲー批評空間「一般人にお勧めのゲーム」とか「TVドラマ化しよう!」などのPOVってありますよね?
これに登録すると大体が「この信者が」とか「エロゲヲタ、きもっ」な反応があります。*1
で、思ったのが「じゃあ、エロゲとリアルはどう違うのか?」
「リアル」の括りではあまりにも漠然としているので、文章形式のゲーム媒体に一番近いのは何かと考え、小説。*2
小説にもラノベとかあるので、文芸。*3



要するに「オタ文化と大衆文化はどう違うのか?」も含んだ「エロゲと文芸は何が違うのか?」です。
正直、内容に関してはそこまで重要視していません。
自分の中に何も残らなければいくら世間で名作と言われようと、その人にとってはカスに違いない。
逆も、また有り得ます。
エロの有無に関しても講談社でもこんなんを堂々と出しているくらいだから、特に問題ではない。
結局のところ書いている内容なんてもんは受け取る側の人間次第であり、書く側にとっても満足できたかどうかの問題。
と考えるに至ったので、重要なのは「形式」ではなかろうか?と思うようになりました。
書いた内容ではなく、どういった形で世に出すか?


例えば、小説の作者欄のところでは簡単な著者紹介が載っています。
有名な人だと、生まれた土地、作家活動までの職歴、果ては出身学校まで記載されてます。
また、マスコミに露出する機会も増える。
そこでは自分の考えを述べることがある。
エッセイを書く人は特に。
何が言いたいかというと、「基本的に、大衆に認められているものは製作者*4の『顔』を見ることができる」
どんな生い立ちか、どんな過去か、どんな思想か。
製作者の人格を構成する環境を見ることができ、また姿を見ることによってどんな人間か確かめることができる。
で、次が「作品解説」
文芸ではありますね、作品解説。
これも「顔」を見せている人が書いています。
この二つが一番大きいのではないかと。


製作者と解説者の「顔」が見えることによって、「問題」に対する彼らの答えを自分の中でまとめるのが楽になる。
その後の批評も楽になる。
だって、その人たちを取り巻く環境が分かってるんですから。
でもエロゲでは、無理です。
製作者のことなんか、ほとんど分かりません。
「顔」晒して作っているエロゲ製作者、いますか?
何をもってその作品を作ろうとしたのかが、まるで分からない。
理解できるのは「作品」その一点のみ。


そして「顔」の無い解説者。
「顔」晒してレビューしているエロゲーマー、いますか?
何をもってそのレビューに至ったかが、まるで分からない。
できるのは「あぁ、そんな解釈もあるんだ」まで。


「作品(製作者)・解説者の背景」を想像するのも、エロゲの楽しみ方かもしれません。
しかし、バックボーンが見えてこないと、ひどい時にはただの妄想にしか過ぎない。
会話が成り立つのは、相手を認識できてから。
議論が成り立つのは、相手を知ってから。
この「顔を晒さない」形式が、エロゲをただのエンターテイメントとしか見ることができなくさせているのではないか?と考えたわけです。
作られた内容よりも、その秘匿性が問題なのです。



宮崎駿のアニメが賞を貰っているのも、エロゲが一般的に認知されないのも、「顔」の重要性の問題では無いでしょうか?
エロゲが低俗とされるのも、どこの誰とも知らない輩が作って、レビューしていると見なされるのが原因の一つでは無いでしょうか?

*1:「一般人にお勧めのゲーム」は「一般人にやらせてみたい」ではなく「エロゲ入門には何が良いか」が本来の使われ方みたいですが

*2:マンガでもいいんですがね

*3:大衆小説も含む

*4:この場合は著者