「批評家とはなんぞや」「製作者とはなんぞや」について考えたみた

はじめに

もともとこの記事は私が書いている日記上で「批評家とはなんぞや」というテーマで書いた批評家ってなんじゃらほい*1批評家ってなんじゃらほい part2*2批評家と製作者ってなんじゃらほい*3という記事を一部加筆・修正してまとめたものだ。
わざわざこちらにコピーしてきたのは、私のスタンス・ポリシーもしくは「そうありたい」という姿を理解してもらうにはこの記事を読んでもらうのが手っ取り早いということと、できるだけ多くの意見を募りたいということ、この二つの理由からである。
私自身、以下に示したような批評家でありたいと願うが、実践できているか怪しい部分もあるし、そもそもこれが正しい批評家の姿かと問われると、まだまだ見落としている部分があるのではないかという思いもある。
理想と疑問を込めて、もう一度掲載したい。



批評家ってなんじゃらほい Part1

批評家についてアレコレ考えてみたので、ちょいとまとめてみる。


そもそもの始まりはこちらの記事。
ニコニコできないアイマスMADに未来はにい(はじめてのC お試し版)
まぁ、エロゲとかアニメとかそこらへん界隈でよく見るようなやり取りだと思う。
アイマスのことは分からないのでそこらへんはスルーするとして、気になったのはこちらのやり取り。

cocoonP 2009/02/09 00:12
hajicさんが見たいものが今ニコにないならば、hajicさんが自分で作ればいいんだよ!
おいらたちはそうやって動画を作ってきたんだから。

hajic   2009/02/09 00:16
僕は文章書くのが仕事、みなさんは動画作るのが仕事です。

他にも「作れ」というレスはいくつもあったりする。
どんな作品・ジャンルでも批評に対して「気に入らないなら自分で作れ」というレスは時々目にすることがあるけれども、「これって果たして正当な要求なんだろうか?」と思ったところから「批評家はそもそも何者なんだろうか」と考え始めた。
なお、ここでニコマスを取り上げたのは「批評家はそもそも何者なんだろうか」ということを考え始めるきっかけとなったからであり、ここに書いてあること全てがニコマスに当てはまると思っているわけではない。
また、ニコニコできないアイマスMADに未来はにいで行われたやり取りは、当記事のコメント欄に書かれているcocoonPさんのコメントを参照した方がニコマスについて誤解なく理解できると思う。
以下の文章は、有料コンテンツとして公開されている作品の批評家像・製作者像について書いた。


まずは言葉の定義から。
「批評家=批評する人」というのは誰もが認めるところだけれども、では「批評」の意味は?
辞書の意味はこれ。

[名](スル)物事の是非・善悪・正邪などを指摘して、自分の評価を述べること。「論文を―する」「印象―」[用法] 批評・批判―― 「映画の批評(批判)をする」のように、事物の価値を判断し論じることでは、両語とも用いられる。◇「批評」は良い点も悪い点も同じように指摘し、客観的に論じること。「習作を友人に批評してもらう」「文芸批評」「批評眼」

大切なのは「良い点も悪い点も同じように指摘し、客観的に論じる」ってところなんだと思う。
ただ、実際には「評価する」だけじゃなくて「解説」「解釈」にも批評という言葉が当てはめている場合が多々ある。
なので広義の「批評」の意味は「作品に対する自分なりの良い点・悪い点を評価したりや解説・解釈を付け加えること」ってことになる。
そう考えると、以前からの疑問の一つであった「いわゆる『エロゲ論壇』は批評なんだろうか?」に対する答えは「解釈・解説を主にする批評」ということになる。


では、次。
批評の意味を「評価・解説・解釈」であると仮定した場合、それぞれ同じカテゴリーでくくることができるのか?
「評価」に関しては先ほどの辞書の意味のように良い悪いを論じることで答えが出ている。
そして、その「評価」の内容如何で作品の評判や売り上げに大きな影響を与えるということも事実。
そういう意味では、「評価」を行う批評家は広告代理店に似ている。
なら「解説」と「解釈」の場合は?
どちらも内容如何で作品の評判に影響を与えるという点では「評価」と同じ意味合いがあるけれど、それ以上に大きな要素となっているのが「『評価』以上に批評家の思想・心情・哲学が多分に含まれること」ではないだろうか。
そして、その思想に則って作品に新たな意味を付加させる作業が「解説」「解釈」ということになる。
そうすると「解説」「解釈」は原作にアレンジを加えて広めるという意味で、二次創作に近いものと考えることができる。
これで「批評家の役割は?」という問いには「広告代理店と二次創作者である」という答えを得られた。
以上のように考えると、批評家も二次創作者という製作者の一部だから「気に入らないなら自分で作れ」というレスポンスも正当なもののように見える。


では、「批評家の資質」とは何?
これはそれぞれの批評家によって違い、私の考え一つを全ての批評家に当てはめることは難しいけれども、あえて答えを出すなら上で触れたような「私は文章を書くのが仕事」とはっきりと表明することだと思う。*4
例えば、自分の友人や知り合いが作品を作っていたとして、それに対する批評を行う時、友人に気を使って当たり障りのない意見を言ったり、気を使って賞賛を多く言うことは批評家として間違っている。
相手が誰であろうともおもねることなく「自分は批評することが役割だ」と胸を張って*5表明して、自分の哲学に則って意見をすることが批評家としての立場であり、最低限の義務であり、そしてマナーなのではないかと。


だとすると「気に入らなければ自分で作れ」というレスポンスは批評家の立場、そして制作者のプライドを否定していることにならないだろうか。
「批評家も制作者の一部」だけれども、批評家が生み出せるのはあくまでも原作ありきの二次創作でしかなく、原作に取って代わるものではない。
そして、迎合することなく批評することが批評家のアイデンティティである。
なのに製作者が「その批評は気に入らないから、批評家としてではなく制作者としてモノで語れ」というのは批評家のアイデンティティを否定するばかりか、まるで自分の得意とする土俵の上で相撲をとれと言わんばかりの恥ずかしい発言だということにならないだろうか。
もし、これが製作者以外の言葉であっても、「不得意な土俵で相撲を取れ*6」ということになり、間接的に制作者を馬鹿にしている。


制作者が批評家の意見を受け入れるかどうかは製作者の自由で、強要されることではない。
それと同じことが批評家にも言える。



以上が「批評家とは何ぞや?」に対する私の考えです。
もちろん異論反論・突っ込み色々あると思うので、何かありましたらTwitterなりコメント欄なりでお願いします。


以下、整理がついていないこと。
アイマスに関してはアイマスMAD自体が二次創作だから、批評家が行った二次創作を否定することは、いわゆる“○○P”が行っているMADやPVなども否定することにならないだろうか?
二次創作者が、批評家が行った二次創作物に対する批評を否定することは、彼ら自身が作った製作物も否定することにならないだろうか?

「批評家ってなんじゃらほい Part1」に対する反応:コメント欄

はじめまして。
二次創作という世界での批評家についてですが、批判的な意見はほぼ意味がない、と思っています。


二次創作の分野では、ネガティブな意見は雑音として無視される傾向があり、それでも意見を通したければ「成果物(動画)」で示すしかないと思います。
VOCALOID界隈の話題になりますが次のような現象があります。http://freedom.mitene.or.jp/~aysen/mysketch/category/diary/1234105309.html


結論として、他人に影響を与えたければ言葉ではなくて態度(物)で示せ、が成り立つのがこの界隈の空気だと思います。



投稿: ほぇ | 2009年2月12日 (木) 13:02

すいません、先ほどのコメントで「ほぼ意味がない」と書きましたが、これだけだとあまりに言葉足らずでした。
「二次創作という世界での批評家について、対世界についての批判的な意見はほぼ意味がない」がより正しいと思います。


対個人の場合は、意味があると思います。
ある作品を取り上げて、良い点悪い点を述べた場合は、その作品を作った人に対してその言葉はきっと届きます。


ただ、対世界(界隈・ジャンル)になると評価の部分は届きますが、批判の部分は一気に意味を失われるのがこの界隈の特徴ではないかと。



投稿: ほぇ | 2009年2月12日 (木) 18:27

はじめまして。
ご紹介いただいたリンク先、大変興味深く読ませていただきました。


ほぇさんは「ポジティブな空気の中でネガティブな意見は意味がない」とおっしゃられていますが、私は逆の状況でも同じことが言えるのではないかと思いました。
要するに「ネガティブな空気の中で批評家がポジティブな意見を言っても意味がない」ということです。
批評家は評価のついていない作品に評価をつけて広めることやその評価をさらに高める力を持っていても、その評価を覆す力は非常に乏しい。
これが批評家の限界だと思います。


それからあくまでも想像ですが、逆に製作者は評価を覆す力を持っていても、評価を広める力には乏しいのではないかというようにも感じました。
もしそうならば、製作者と批評家はお互いを補う理想的な関係だと言えます。
しかし残念ながら、今回のアイマスの記事の場合だとお互いの足を引っ張り合っているように外部からは見えますが……。


ほぇさんのおっしゃる「批判的な意見」に「ネガティブな空気に対するポジティブな意見」も含まれるのであれば、私の意見は完全に蛇足となりますので、その場合は私はほぇさんに賛成していることをお分かりいただければ幸いです。
ご意見ありがとうございました。



投稿: へなへな | 2009年2月12日 (木) 19:48

批評家は批評をし続けて欲しい。
整理が付いていない事は、正にその通りだと思います。



投稿: wyrd | 2009年2月12日 (木) 19:59

ありがとうございます。
そう言っていただけると自分の文章に自身が持てます。



投稿: へなへな | 2009年2月12日 (木) 20:38

以上がコメント欄での反応で、批評家の影響力に対する意見はいただいたが、批評家とはなんぞやという点には特に突っ込みはない。

「批評家ってなんじゃらほい Part1」に対する反応:はてブ

はてなブックマーク - 電波ゆんゆん: 批評家ってなんじゃらほい

Yoshikawa おおお「批評家も二次創作者という製作者の一部」というのは目から鱗でした! 2009/02/12

KIM625 カズマさん経由できた。なるほど、おもしろい。 2009/02/12

altana11 自分の考えと結構近かった。ただ広告代理店になる必要は必ずしも無いと思うけど。 2009/02/12

w84_yuto アイドルマスター, 考察 コミケにも批評ジャンルはあるし、批評も生産消費の一つかな 2009/02/12

コメントが付いているものだけを抜粋したが、これも概ね好評を得ている。
「広告代理店になる必要は必ずしも無い」という点は、広告代理店になることを望む望まないに関わらず批評を公開する以上、どうしてもその役割を担ってしまうのでどうしようもないと思う。
特に影響力のある人だと広告代理店であることと批評家であることは、不可分ではないだろうか。

批評家ってなんじゃらほい Part2

「批評家の資質」の項目で「開き直って自身の哲学に忠実であること」と書いたけど、それさえ満たせば何でも書いていいというわけではない。
ちょうど2009年2月12日現在にプレイしている俺たちに翼はないにタイムリーな場面があったので、そちらを例にとって書いてみる。


20090311211521
これは批評家*7におびえる製作者側から見た視点。
先日書いたように、批評家は製作者がいなければ生存できない存在。
だから、製作者を潰してしまうかのような悪意に満ちた表現は批評家そのものの存在を潰してしまうことと同義であることを常に心にとどめておかなくてはいけない。
もちろん、謂れのない誹謗中傷は人としても間違っているのだけれども。


対して、こちらは製作者に対して不満を持っている批評家側から見た視点。
20090311211520
制作物を産み出した以上、それに対して批評家が何と言おうと向き合うべきだ。
それはもちろん「批評家の発言を認めろ、発言に対して反応しろ」というわけでは決してなく、批評家の発言を受け入れるということ。
受け入れた上で、作品の制作に生かすのも自分の信じる制作を行うのも製作者の自由だ。
「俺の感性を理解できるなら理解してみろ」と批評家に挑戦状を叩きつけてもいい。
目をつぶったり耳をふさいだりすることだけはしないで欲しい。
製作者として作品を作る以上ポリシーや制作物のテーマがあるだろうけど、でもそれは、製作者以外には犯すことのできない不可侵領域だということを忘れないで欲しい。
例え何万回の再生数があっても、何万本の売り上げがあっても。
それさえ覚えていれば、批評家に対する見方や接し方も変わるんじゃないかと思う。
批評家に振り回されるのではなく、「批評家を振り回してやれ」くらいの意気込みを持ってくれることを願う。

批評家と製作者ってなんじゃらほい

以上二つの章で批評家と製作者の関係に少し触れたが、そうすると「批評家と二次創作者を分けて考える必要があるのか」という疑問が浮かんできた。


記事を読んでいただければ分かるように、作品に「解釈」「解説」を加えるという意味では批評家と二次創作者も同じように活動している。
例えば例に挙げたアイマスの動画を作成している“P*8”たちはアイマスという作品やキャラクターに独自の解釈を加えて動画という形で表現している。
一方批評家たちも同様に独自の解釈を加えて文章という形で表現している。
しかも、Pたちは批評家の特徴であった価値を広める広告代理店としての役割も動画の公開・頒布を通して担っていることも合わせて考えると、両者の間に少なくとも役割としての違いはあまり感じられない。
確かにニコニコできないアイマスMADに未来はにいでは二次創作者*9に対して批評する三次創作者*10という図式を見ることができたけれども、二次創作者は原作*11を自分の意図する形で広めていることには変わりない。
三次創作者が自分の意図する形で二次創作物を広めているように。
二次創作物の場合は原作者が黙認しているから上位次元からの締め付けがないだけで、決して大手を振って正統性・正当性をアピールすることはできないはずだ。
ならば製作者サイドの観点で二次創作者が三次創作者を締め付けをすることは理に適わない。
言い方は悪いが、他人のふんどしで相撲を取るという分類では同じ穴の狢と言えよう。
ここら辺は批評家ってなんじゃらほい part1で整理できていなかった部分につながる話。
もちろん、ニコマスを含めたMAD文化など製作者が無料で公開しているものについては、製作物が製作者の好意で公開されている以上、この考えから外れるものだと思う。
しかし、有料コンテンツについての二次創作・それに対する批評はこの考えが当てはまるものだと考えている。


行っている行為・立場に差がないなら、二次創作か三次創作かという次元の違いも些細な問題ではないだろうか。*12
それならば文章なのか、それとも動画・ゲーム・漫画等なのかという表現の違いで批評家・製作者という分類をすることも意味のある行為だとは思えない。
分けて考えるから、しばしば製作者と批評家という対立構造を生むことに繋がるのではないかと。


もし分ける方法があるのならば、それは「上位対象*13を明確にしているか」という点ではないだろうか。
つまり上位対象を指し示す方法が暗喩的なのか直喩的なのか、インスパイア・感化なのか引用なのかということ。
曖昧な分類ではあるが、それほど二次創作者と批評家の間の壁は薄い、もしくは存在しないのではないかという気がする。



ここからは完全に戯言の範疇なのだが、エロゲ論壇が廃れていったのも同人ゲームの広がりに関係あるのかもしれない。
つまり、制作ツールの発達・制作環境の整備により、ゲームという表現方法をとることが以前よりも簡単になり、文章からゲームへと表現媒体をシフトさせていったということ。
そして二次創作から一次創作者すなわち原作者へとさらにシフトしていったのではないか。
かなり強引な思考の飛躍だと自分でも思うし、信じていない。

まとめ

以上が私の考える批評家像・製作者像である。
かなり長くなってしまったが、言いたいことをまとめるとこうなる。

  • 批評家と二次創作者が行っている行為・立場は同じ
  • 製作者と批評家を明確に分けることのできるのは、「一次創作者であるか」この一点のみ。
  • もし、無理矢理にでも二次以降の創作者と批評家の区別をつけようと思えば、「参考元を直接的に指し示しているか、間接的に指し示しているか」という曖昧なものにならざるを得ない。


「分けて考えるから、しばしば製作者と批評家という対立構造を生むことに繋がるのではないか」
たぶん、この部分が私にとって重要なんだと思う。
無理矢理にカテゴライズすることで、間違ったステレオタイプを生み出してしまい、お互い疑心暗鬼になってしまう。
一度垣根を取っ払って風通しを良くしたようがお互いのためにいい。
私はそう信じています。


抽象論であり、理想論でもあることは重々承知しています。

*1:2009年2月11日の日記

*2:2009年2月12日の日記

*3:2009年2月17日の日記

*4:この場合の仕事は「金銭・物品等の物理的な対価を得て行う作業・役割」ではなく「その人のアイデンティティ」みたいなものだと思ってください

*5:開き直って

*6:それなら製作者に軍配が上がるだろう

*7:にもなっていないただの中傷かも知れないけど

*8:プロデューサー

*9:P

*10:批評家、hajicさんはそうではないとおっしゃっていますが

*11:アイマス

*12:もちろん最初に作品を生み出した原作者と二次創作者以降の立場は別問題だけれども

*13:三次創作者から見た二次創作者、二次創作者から見た原作者など