文化の扱い方で格差が生まれる?

これからを担う若者たちがみんなこういう考えだったらマジで日本終わるなーと思った。

自分たちは何も文化を創り出さないくせに、文化を殺す方向にしか考えがいかず

その理由は、別に見てもしょうがない、という『必要でなければいらない』という発想。

何故文化的なものにお金を払うことに対して積極的ではないのだろう?

不況もあるとは思うが、そんなこといってたら不況ならば文化は廃れて当然なのか、というお話になってしまう。

なんでだろう?


最近の若者は日本の文化を殺そうとしているのではないかより

he-na-he-naそのうち金払ってでも自分の教養を高めようとする層と金払わずに楽な方に流れる層とに分離して、新しい格差が生まれるんではないかと思った


はてなブックマーク - へなへなのブックマークより


なんでこんなこと思ったかというと、何だかんだいって今までは文化にお金を払う人間が経済や政治を引っ張って文化を保護してきたから。
それは失われていった文化に対しても同じで、そうした文化を研究する大学・研究者に研究費を融通する篤志家もいた。
「知識階級や文化にお金を出してこそ一人前」という風潮は確かにあった。
また、多くの企業がバブル期の絶頂時、美術品や芸術品を買い漁っていたけど、これも少なからずそういった風潮に染まっていたからじゃないだろうか。*1


これから先、自分の興味ないものにお金を払わない・興味があってもお金を払わない層が「ネオ富裕層・ネオ知識層」として政治・経済・文化をリードしていくようになるのならば、「それが時代の流れです」と言い切っていいだろうし、お金を払うのは一部の物好きな道楽者という扱いになっていくのも仕方のないことだと思う。
今とは逆にお金を払う方が変人扱いされる世の中の始まり。*2
でも、今までと同じように「お金を持っている者こそ教養に対して積極的にお金を払うべき」という考えの人たちが世の中を引っ張っていくのなら、お金を払わない人は流れに沿わない異端者であり、知識階級の最下層として白い目で見られてもおかしくはない。
現在お金を払わないで済ます人たちがお金を払っている人たちを指して「購入厨」とあざ笑っているように。


どちらにせよ、ネットが普及して文化のあり方・著作権のあり方が問われるようになったことで、どちらの流れに傾くか決まる分岐点がすぐそばにまで近づいているのは間違いないと思う。

*1:もともとの動機は税金対策等のあまり褒められたものではないかもしれないけど

*2:個人的感情を別として、それが間違っていることとは思わない